京都地方裁判所 昭和59年(ワ)2060号 判決 1987年4月24日
甲事件原告(乙事件被告)亡A遺言執行者
X
甲事件被告(乙事件原告)
Y1
前同
Y2
前同
Y3
前同
Y4
右四名訴訟代理人弁護士
増田淳久
乙事件被告補助参加人
Z
右訴訟代理人弁護士
松浦武二郎
同
松浦正弘
主文
一 甲事件被告(乙事件原告)Y1、同Y2、同Y3、同Y4は、
1 別紙一物件目録記載の土地につき、京都地方法務局向日出張所昭和五九年一〇月一六日受付第一八四九七号同年八月二六日相続を原因とする同目録末尾記載の各持分による所有権移転登記
2 別紙二物件目録記載の土地建物につき、京都地方法務局嵯峨出張所昭和五九年一〇月一六日受付第二四一九七号同年八月二六日相続を原因とする同目録末尾記載の各持分による所有権移転登記
の各抹消登記手続をせよ。
二 訴外亡Aが昭和五九年八月二六日なした別紙四記載の死亡危急時遺言中「預金債権」の四字を追加した部分及び作成日付「八月二五日」の「五」を「六」と訂正した部分の無効であることを確認する。
三 乙事件原告(甲事件被告)Y1、同Y2、同Y3、同Y4のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は甲事件被告(乙事件原告)Y1、同Y2、同Y3、同Y4の負担とする。
事実
第一 当事者の求めた裁判
甲事件
一 請求の趣旨
主文第一、四項同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
乙事件
一 請求の趣旨
1 訴外亡Aが昭和五九年八月二六日なした別紙四記載の死亡危急時遺言は無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二 甲事件請求原因
一 原告は、昭和五九年八月二六日死亡した訴外亡Aの遺言執行者である。
被告らは、Aの法定相続人であり、被告Y1(以下Y1という)は妻、同Y2は長男、同Y3は次男、同Y4は三男で、いずれも嫡出子である。
二 Aは、死亡前の同年七月二五日に別紙三記載の自筆証書遺言をし、死亡直前の同年八月二六日別紙四記載の死亡危急時遺言をしており、同年一〇月二二日京都家庭裁判所で検認手続を経由した。
三 右自筆証書遺言において原告が右遺言執行者に選任されている。
四 そして右遺言によれば、A所有にかかる別紙一物件目録記載の土地は、現在設立準備中の社会福祉法人順和会に寄附することとある。
右社会福祉法人はAがその生前、余生をかけようと情熱を燃やしていたもので、設立準備の手続をすすめていたものであり、右死亡危急時遺言においては、訴外Zを中心として運営をすすめてほしいとされている。
よつて、原告はAの右遺言どおり右土地を右法人に寄附する義務がある。
五 又、右死亡危急時遺言においてAは、別紙二物件目録記載の土地建物を訴外Zに託して負債の清算をさせ、その残余金員を同人に遺贈する旨言つておるから、右土地建物の処分権を同人に与えていること明らかである。
よつて、原告は右土地建物を同人に託し、Aの負債の処理とそのために処分をさせる義務がある。
六 しかるに近時調査したところ、被告らは、別紙一、二物件目録記載の不動産全部に対し、各法定相続分の持分による相続登記を了しており、それは右遺言に反するものであるから、原告の右遺言執行を妨げていること明らかである。
七 よつて原告は被告らに対し請求の趣旨記載の判決を求める。
第三 甲事件請求原因に対する答弁
一 右第一項は認める。
二 同第二項については、Aが、昭和五九年七月二五日に別紙三記載の自筆証書遺言をしたこと、及び右遺言とは別に別紙四記載の死亡危急時遺言があるとして、この二つの遺言書につき原告が京都家庭裁判所に検認の手続を採り、同年一〇月二二日同裁判所において検認のなされたことは認めるが、原告主張の死亡危急時遺言は元来存在せず、かりにこれが外形的に書面として存在しているとしても、それはA以外の者の意思が介在して作出された書面である。
三 同第三項は認める。
四1 同第四項第一段の主張を否認する。
(一) 前記自筆証書遺言の第三項によれば、「西京区大枝沓掛町二六―二一一、二六―二一二、二六―四六九、二六―二三〇、二六―二二九は現在設立準備中の社会福祉法人順和会に寄附する」とあるだけで、別紙一物件目録記載の土地を寄附するとは書かれていない。
かりに、「西京区大枝沓掛町二六―二一一……」が当該町名地番を表し、同所地番の所在土地を表わしていると善解しても、別紙一物件目録の中の「大枝沓掛町弐六番弐壱〇、宅地参六参・弐七平方米」は自筆証書遺言書のどこをさがしても見当たらず、これは寄附の対象物件にはなつていない。
(二) 右順和会については、A死亡後一年余経過した昭和六〇年八月一七日時点において、社会福祉法人としての設立・認可の申請手続はなされていないことがはつきりしており、該法人設立の前提となる老人ホームの建設についても京都市は計画を有していないことが明確になつているので、遺言執行者である原告は、右土地を法人設立の申請手続もとられていない即ち実体のない順和会その他いかなる者に対しても寄附すべき義務は負担していないし、かかる義務は一切発生していない。
(三) 次に、「設立準備中の社会福祉法人順和会に寄附する」という意味を、社会福祉法人として成立した時にその成立を停止条件として寄附するという意味に解釈するとしても、本件の場合は、社会福祉法人としての設立が近い将来において認可されるということはあり得ないのであるから、順和会が法人格を取得するということも社会通念上はあり得ない。そうすると、寄附が有効に成立するということもあり得ない。
(四) 結局、老人ホームが認可されない場合の老人ホーム用地の帰属については、Aは遺言していないと理解するほかはなく、右土地はいずれも相続によって被告等に所有権は移転帰属しており、原告の本訴における登記抹消請求は理由がないことは明白である。
(五) かりに、百歩を譲つて、本件の場合社会福祉法人としての設立・認可の申請手続はとられていないとしても、設立準備中の権利能力なき団体としての体裁を整えていると考え、それに寄附するのだと強弁されるとしても、権利能力なき団体として認められるためには、団体としての組織を備え、代表の方法、定款の定め、会議、資産、会計等に関する重要事項等が規則によって確定されていなければならない。
しかるに、本件の場合は、このような定めのあることはついぞ知らないし、聞いたこともない。
従つて、右のような状況下においては寄附すべき相手は存在していないことになり、原告の本件登記抹消請求は失当というほかはない。
2 同第四項第二段及び第三段の主張は全て争う。
五 同第五項も全て争う。原告主張の死亡危急時遺言が不存在乃至は無効なことは既に述べたとおりであり、右遺言を有効なものとして述べている原告の主張は失当なものである。
六 同第六項については、被告等が原告主張の相続登記を了していることのみ認め、その余の原告の主張は争う。
第四 甲事件抗弁兼乙事件請求原因
(以下甲事件原告乙事件被告を原告といい、甲事件被告乙事件原告を被告という。)
一 AとY1は昭和三五年五月婚姻し(但し届出は同年七月七日)、以後、昭和三六年二月二〇日長男Y2、昭和三七年一〇月四日次男Y3、昭和三九年九月四日三男Y3がそれぞれ出生した。
二 Aは、Y1との婚姻当時は病院勤務の医師であつたが、その後Y1の父Bの物心両面にわたる援助を得て京都市西京区<以下省略>において医院開業を果し、昭和五四年六月頃京都市西京区<以下省略>に新診療所を新築開設し、以後同所で医師業務を遂行して来た者であるところ、昭和五九年七月下旬京都市中京区壬生東高田町一番地の二京都市立病院に肝疾患で入院し、同年八月二六日午後一〇時一五分同病院において肝癌により死亡した。
三 ところで、AとY1は、右訴外人の女性関係の疑惑に端を発して、昭和四五年六月頃以降種々のトラブルが生じるようになり、Aが昭和五九年七月京都市立病院に入院する前頃までは数次にわたり京都家庭裁判所の調停手続等を受けるところとなり、約五年にわたつて別居生活が続いて来た。
四 しかしながら、Y1は、この間途中においては一時期離婚を決意したこともあつたが、最終的には子供三名のために、離婚にまでは踏み切れず耐え忍んで来たものであり、他方、Aにおいても、従前Y1の父に格段の世話になったことの責任感と、子供三人に対する父親としての愛情の発露からか、昭和五九年七月二五日、別紙三記載の自筆証書遺言を自書し、これを封筒に入れて封緘の上原告に預託した。
五 原告は、京都弁護士会所属の弁護士であり、右自筆証書遺言書の受託者であるところ、同原告は、Aの死亡後、二〇日以内に、京都家庭裁判所に対し、右自筆証書遺言書のほかにAの遺言書としては、別紙四記載の死亡危急時遺言書が存在するとして、この確認と検認及び右自筆証書遺言書の検認を求める申立をした。
六 そして、同庁は、昭和五九年九月二七日、前記死亡危急時遺言書の確認をなし、同年同年一〇月二二日、右遺言書の検認と、自筆証書遺言書の開封、検認もした(尚、Y1は右一〇月二二日の遺言書開封と検認に立合して、そこで始めて、死亡危急時遺言書の存在すること及びその記載内容を知つた)。
七 しかしながら、Aは、死亡前日の八月二五日には既に衰弱激しく、吐血も始まって意識の混濁も生じ、八月二五日夜から死亡に至るまでは危篤状態がずつと継続していたところであり、到底本件死亡危急時遺言書記載の八月二六日午前〇時一〇分頃(但し、「日」の訂正があり八月二六日になつているがこの訂正には民法第九八二条によつて準用される第九六八条第二項の方式が履践されていない)には、右遺言書記載のような遺言の趣旨を口授する能力はなかつたものであり、従つて、右遺言は無効なものである。
八 尚、右死亡危急時遺言書には「A」の署名と押印があるが、この遺言書作成日時頃Aは既に危篤状態にあり、遺言内容の口述能力を喪失していたばかりか、自筆による自署は到底できなかつたはずであり、右署名はそれ以前白地用箋に自署・押印してあつたものに後日(又は後刻)文面記載の上遺言書として完成された疑いが強い(Aの署名押印部分の一行右前の行文の字体の大きさとそれ以前の文面の字体の大きさにアンバランスのあることや、最初の上部欄外における「文字加入」の記載個所に押捺の印が二つしかないこと、立会証人になつている三名の押印個所が不自然なこと、特に原告とCの署名と押印が一行づつずれており、Dの押印がCの押印の真上同行になされており、しかも上部欄外の最初の字句加入訂正個所にDの押印が欠落していること、及び、死亡危急時遺言書において受遺者とされているZはAの不貞行為の相手方でAの死亡一ケ月前よりもかなり前から懇ろな間柄にあつた女性であるところ、Aの別紙自筆証書遺言書には何等同女に対する遺贈の意思表示がなされていないのに本件死亡危急時遺言書で突然同女を受遺者にしていることの不自然さによる)。
九 かりに、右死亡危急時遺言中にAの真意表明部分があるとしても、右遺言書の字句訂正加除変更個所については、民法第九八二条による第九六八条第二項の準用に基づく方式履践を必要とするところ、法定要件を充足しておらず(訂正変更個所部分についての立会証人三名の署名と押印をそれぞれ必要とするところ、同所における署名は全く存在せず、押印も二つしか存在しない個所がある)、しかも、これら加除訂正変更部分を除却して文面内容を考察しても、文意不明確な個所が多いこと(現医院の土地建物並びにガレージ用地はZに託しとあるがこの意味が不明確、山の上の住宅とは何を指すのかこの意味も不明確、老人ホームが認可されない場合その敷地土地は誰が取得するのかが不明確、死亡危急時遺言書記載外の遺産、例えば、現金、債券証券類、貴金属類で若しもこれらがA死亡時に現存していたものがあればこれらを誰が取得するというのか、又、記載外の債務についても不明確である)等により本件死亡危急時遺言をもつてしては、Aの真意を正確に把握することが困難であり、無効なものと言わなければならない。
一〇 かりに、別紙四記載の遺言が民法にいう死亡危急時遺言として形式的には有効だとしても、右遺言は民法第九五条或いは民法第九〇条により無効なものである。
1 即ち、右口述がなされたとされた時期、Aは、Zが既にゴルフ会員券を恣に売却したり、宝石類や装身具等を月賦で買い込み、更に銀行預金の解約・引出金約二五〇〇万円もZの懐に入つていることや、A死亡によつて八〇〇〇万円の生命保険金や四五〇万円のガン保険金がすべてZの手に入るということは知らなかつたか或いは意識になかつたはずであり、若し、これらのことを全て知つていたか或いは認識していれば、別紙四記載のような遺言はしなかつたはずであり、それは法律行為の重要な要素に錯誤がありなされたものとして無効なものと言わなければならない。
2 かりに、右主張も認められないとしても、ZはAの不貞行為の相手方であり、しかも多額のA所有資産を私したり或いは取り込んでおり、かかる人物に更に残された遺産の主要部分を遺贈することを内容とした遺言を有効とすることは公序良俗に反することになり、それは民法第九〇条により無効なものと言わなければならない。
一一 よつて右危急時遺言の無効確認を求める。
第五 甲事件抗弁兼乙事件請求原因に対する答弁及び主張
一 請求原因第一項は認める。
二 同第二項のうち、AがY1の父から物心両面にわたる援助を得たとの点は争い、その余は認める。
三 同第三項のうち、AとY1とのトラブルがAの女性関係の疑惑に端を発したとの点及び別居の期間は争い、その余は認める。
四 同第四項のうち、Aが主張の日時に主張の遺言を自署、封緘のうえ原告に預託したことは認めるがその余は争う。
五 同第五項は認める。
六 同第六項のうち、括弧書きの部分を争い、その余は認める。
七 同第七項のうち、Aが、昭和五九年八月二五日午后から死亡の危急に迫つていたことは認め、その余は否認する。
八 同第八項のうち、本件死亡危急時遺言書のAの署名捺印が本人のものであることは認めその余は否認する。
九 同第九項は否認。
一〇1 同第一〇項の民法九五条又は九〇条の主張は、被告らが、終結予定の昭和六一年一一月二一日午前一〇時の口頭弁論期日の変更申請をし、これが変更後の同年一二月八日午後一時一〇分の口頭弁論期日において初めて主張されたものであるから、時機に遅れたものとして却下されるべきである。
2 右主張は争う。ZはAが経営していた大原医院に勤務し、医療以外の業務全般の統括者いわば事務長的立場の者として、献身的に、文字どおり身を粉にして働いてきた。そのためAの信頼は篤く、またAの兄姉らからも信頼されてきたのである。被告ら主張の不貞の事実はない。
一一 本件死亡危急時遺言は有効である。
1 Aは肝臓がんのため死亡の危急に迫られ、昭和五九年八月二五日午後一一時半過頃から同年同月二六日午前〇時一〇分頃にかけて京都市立病院において、証人X弁護士、同B、同Cの立会いを得て、X弁護士に遺言の趣旨を口述し、X弁護士がこれを筆記して、A、B及びCに読み聞かせ、誤りのないことを確認したうえ、右証人三名が署名捺印したものである。
右当時、Aの意識は明瞭であり、本件危急時遺言はAの真意に基づいて作成されたものである。
そして、X弁護士は二〇日以内に京都家庭裁判所に対し本件危急時遺言の確認申立(同裁判所昭和五九年(家)第二五四三号遺言の確認申立事件)をなし、同裁判所は同年九月二七日その確認審判をなした。
右の通り、本件死亡危急時遺言は法定の要件に従つて作成され、家庭裁判所の確認を得ているのであつて、有効である。
2 被告らは、本件死亡危急時遺言はその加除変更箇所について法定の方式を履践していないから無効である旨主張する。
しかしながら、定められた加除変更の要件を欠くときには、遺言書は加除変更がなされなかつたものとして有効である。
ところで、死亡危急時遺言においては日付の記載は有効要件ではなく、記載された日付が正確性を欠いても遺言は無効とはならない。そして、本件死亡危急時遺言は、前述の通り昭和五九年八月二五日深夜から同年同月二六日にかけて作成されたのであるが、そのため、作成日付を昭和五九年八月二五日と誤つて記載し、これを二六日と訂正したにすぎず、本件死亡危急時遺言の有効性に何ら影響はない。
3 つぎに、原告は、本件死亡危急時遺言は加除変更箇所を除却しても文意不明確な箇所が多いから無効である旨主張する。
しかし、右は本件死亡危急時遺言の解釈(意思表示の解釈)の問題であつて、有効無効の問題ではない。さらに、本件死亡危急時遺言は、その記載から、またその作成に至る経過、Aの意図等から容易にその内容を確定できるのであつて、有効であることは明らかである。
まず、第二項の「上桂前川町の現医院の土地建物並びにガレージ用地は、Zに託し」との部分についていえば、対象物件はAが経営していた大原胃腸病院とそのガレージの土地建物、すなわち別紙二物件目録記載の土地建物を指し、「Zに託し」とはZに遺贈する趣旨である。
つぎに、第四項の「山の上の住宅はZに遺産として贈与する。」の「山の上の住宅」は、別紙一物件目録記載の四、五の土地及び右五の土地上の家屋番号二六番二三〇軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅三七・三〇平方メートルの建物を指す。Aは、晩年、社会福祉法人順和会(仮称)を設立して老人ホーム(仮称順和会有徳園)を運営することに情熱を傾けていたが、右土地建物は老人ホーム用地(同目録の一、二、三、六の土地)の北側にある居宅とその敷地であつて、Aは老人ホームが認可されればZにより運営されることを希望しており(第三項)、右土地建物をZに贈与することとしたのである。
また、原告は、老人ホームが認可されない場合の老人ホーム用地の帰属、本件死亡危急時遺言に記載外の遺産の帰属等が不明確であると主張するが、これらについてはAは遺言をしていないのであつて、それだからといつて本件死亡危急時遺言が無効となるものでないことは、説明するまでもなく明らかである。
以上要するに、本件死亡危急時遺言は有効であり、原告の請求は理由がないのである。
第六 証拠<省略>
理由
一以下の事実は当事者間に争いがない。
1 AとY1は昭和三五年五月婚姻し(但し届出は同年七月七日)、以後、昭和三六年二月二〇日長男Y2、昭和三七年一〇月四日次男Y3、昭和三九年九月四日三男Y4がそれぞれ出生した。
2 Aは、Y1との婚姻当時病院勤務の医師であつたが、その後京都市西京区<以下省略>において医院開業を果し、昭和五四年六月頃京都市西京区<以下省略>に新診療所を新築開設し、以後同所で医師業務を遂行してきたが、昭和五九年七月下旬京都市中京区壬生東高田町一番地の二京都市立病院に肝疾患で入院し、同年八月二六日午後一〇時一五分同病院において肝癌により死亡した。
3 AとY1との間には、昭和四五年六月頃以降種々のトラブルが生じ、Aが昭和五九年七月京都市立病院に入院する前頃まで数次にわたり京都家庭裁判所の調停手続を受けるなど紛争を重ね、長らく別居生活が続いていた。
4 Aは、昭和五九年七月二五日、別紙三記載の自筆証書遺言をし、これを封筒に入れて封緘のうえ原告に預託した。
5 原告は、京都弁護士会所属の弁護士であるが、Aの死亡後二〇日以内に、京都家庭裁判所に対し、右自筆証書遺言書の検認とともに、別紙四記載の死亡危急時遺言書が存在するとしてこれが確認、検認を求める旨の申立をし、同庁は、昭和五九年九月二七日右死亡危急時遺言の確認をし、同年一〇月二二日右遺言書及び前記自筆証書遺言書の検認をした。
6 原告は、右自筆証書遺言において指定され、就職を承諾した遺言執行者である。
7 右自筆証書遺言書の第三項には、「西京区大枝沓掛町二六―二一一、二六―二一二、二六―四六九、二六―二三〇、二六―二二九は現在設立準備中の社会福祉法人順和会に寄付する」と記載されている。
以上の事実は当事者間に争いがない。
二1 <証拠>によれば、右第一項7の自筆証書遺言書第三項は、別紙一物件目録記載の各土地を寄付の対象とする趣旨であると解するのが相当であり(蓋し各土地の位置関係に照らすと、同目録中「大枝沓掛町弐六番弐壱〇、宅地参六参・弐七平方米」のみを右寄付の対象から除く趣旨であるとは考えられない)、右判断を左右にするに足る証拠はない。
2 次に「設立準備中の社会福祉法人順和会に寄付する」の意義は、いわゆる設立中の社会福祉法人順和会(権利能力なき社団)に対し贈与する趣旨と解すべきである。なおA死亡当時右「設立準備中の社会福祉法人順和会」なるものが未だ権利能力なき社団として存在していなくても、右遺言の効力は左右されず、遺言執行者としては、設立準備中の社会福祉法人順和会が権利能力なき社団として存在するに至るのをまち、然る後にこれに対し贈与し所有権の移転登記手続をする義務を負う。
ところで、被告らが別紙一物件目録記載の物件につき京都地方法務局向日出張所昭和五九年一〇月一六日受付第一八四九七号同年八月二六日相続を原因とする同目録末尾記載の各持分による所有権移転登記を経由していることは当事者間に争いがなく、これは遺言執行者の前記義務の執行を妨げる無効な登記であるから、右各登記の抹消を求める原告(遺言執行者)の請求は理由がある。
三1 別紙四記載の死亡危急時遺言の存在は前記認定事実から明らかであり、証人Cの証言(以下C証言という)及びX供述によれば、右遺言書は、Xが、B及びCの立会のもとに、昭和五九年八月二五日深夜から翌二六日午前零時過ぎにかけ前記京都市立病院内のAの入院していた病室において、肝癌等のため死亡の危険の迫つたAの口授するところを書きとつたうえこれを読み聞かせ、A、X、B及びCがそれぞれ署名捺印をして作成したものであることが認められる。
2 被告らはAが右日時ころ遺言の趣旨の口授能力を欠いていたと主張し、これに沿う<証拠>があるけれども、これらは<証拠>に照らしとうてい採用できず、<証拠>も被告らの前記主張を確と証明するには至らず、他に右主張を認めるに足る的確な証拠はない。
3 被告らは方式不遵守による死亡危急時遺言の無効を主張するところ、なるほど右遺言書の第三項に「預金債権」の四字を加入した部分と右遺言書作成日付の「八月二五日」の「五」を「六」と訂正した部分は方式不遵守のため無効であるが、このことを勘案しても、本件死亡危急時遺言中その余の部分を無効にするには至らない。
4 被告らは、右追加訂正部分を除去しても死亡危急時遺言書の文意不明確な個所が多く無効であると主張するところ、
(一) 右遺言書第二項の「上桂前川町の現医院の土地建物並びにガレージ用地は、Zに託し」とは、X供述及び弁論の全趣旨によれば、Aの借入金の弁済をなさしめるために別紙二物件目録記載の土地建物をZに対し(信託)譲渡する趣旨であると解せられる。したがつて遺言執行者は右土地建物をZに譲渡し所有権の移転登記手続をする義務を負うところ、被告らが右土地建物につき京都地方法務局嵯峨出張所昭和五九年一〇月一六日受付第二四一九七号同年八月二六日相続を原因とする別紙二物件目録末尾記載の各持分による所有権移転登記を経由していることは当事者間に争いがなく、これは遺言執行者の前記義務の執行を妨げる無効な登記であるから、右各登記の抹消を求める原告<遺言執行者>の請求は理由がある。
(二) 前記遺言書第四項の「山の上の住宅」とは、X供述及び弁論の全趣旨により京都市西京区大枝沓掛町二六番二三〇家屋番号二六番二三〇軽量鉄骨造亜鉛メッキ鋼板葺平家建居宅三七・三〇平方メートルをいうものと解せられる。
(三) 前記遺言書中には、社会福祉法人順和会が認可されない場合に設立中の社会福祉法人順和会に贈与する土地は誰が取得することになるのか、前記死亡危急時遺言書に記載していない遺産及び債務は誰が承継することになるのかについて記載がない。しかしながら、右のことは前記死亡危急時遺言を無効にするものではない。
5 被告らは右遺言の錯誤無効を主張するところ(これを時機に遅れたものとして却下するのは相当でない)、本件全証拠によつてもAが錯誤に基づいて右遺言をしたことを確と認めるに至らない。
6 被告らは右遺言が公序良俗に反し無効であると主張するところ(これを時機に遅れたものとして却下するのは相当でない)、右遺言書によれば、相続人である被告らに対しても遺産の一部が遺贈されており、Zに対しては、いわゆる山の上の住宅(これが高額なものであることを認めるに足る証拠はない)及び現金(上桂前川町の現医院の土地建物並びにガレージを換価する等してAの借入金の弁済をし、残金があればその現金、という条件付のもの)を贈与するというものであり、<証拠>によれば、AとY1との婚姻生活は、Aが昭和五四年ころの上桂前川町に病院を移転したころ以降破綻していたこと、Zは、右移転後の病院に住み込み、病院の事務長としての仕事をするとともにAの身の回りの世話もしていたこと(最後的には内縁の妻であつたと推測しうる)が認められるけれども、右事実と前記第一項3認定の事実に照らすと前記死亡危急時遺言が公序良俗に反するとはとうていいえないし、他に右遺言が公序良俗に反することを認めるに足る証拠はない。
四そうしてみると、原告の(甲事件の)請求は理由があるからこれを全部認容し、被告らの(乙事件の)請求中別紙四記載の死亡危急時遺言のうち「預金債権」の四字を加入した部分等加入訂正部分については理由があるからこれを認容し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官重吉孝一郎)